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美しいシダ植物の話 アジアンタムのなかま

村上 健太郎

はじめに

 日本に600種以上見られるというシダ植物の中でも,最も人気が高いのはアジアンタム(Adiantum)のなかまかもしれません。アジアンタムということばは,ホウライシダ科ホウライシダ属の植物を指し,世界では200種以上が見られ,日本国内では8種が知られています(岩槻,1992)。研究者からも,とても人気がある植物で,兵庫生物学会会長の白岩卓巳さんは「さわやかで美しい」(白岩,1980)と表現されており,同志社大学の光田重幸先生に至っては「かろやかで涼しげな緑の葉」「それだけでも観葉植物として充分美しいのに」「足もとまで美しい」という美辞麗句で,アジアンタムを表現されています(光田,1986)。アジアンタムのなかまの特徴は,うちわのような形をした小葉と,細くて黒光りした葉柄ですが,光田さんが表現した美しい足もととは,この葉柄のことを指していると思われます。よく似た姿をしていて,見分けるのが難しいシダ植物の中にあって,ことさら印象深い美しい姿をしているのが,このアジアンタムのなかまなのです。

 

大阪で見られる野生のアジアンタム

 日本国内で見られる野生のアジアンタムのうち,大阪付近では,クジャクシダ(Adiantum pedatum),ハコネシダ(A. monochlamys),ホウライシダ(A. capillus-veneris)の3種が主なものです。また,まだほとんど報告されていませんが,最近になって兵庫県南部の民家の石垣で確認されたカラクサホウライシダ(A. raddianum)(山住,1994)も含めると,4種が生育している可能性があると思います。この4種をわかりやすく区分すると,田舎派(山地にのみ生育する)のクジャクシダ,ハコネシダと都会派(街中の石垣などでよく見られる)のホウライシダとカラクサホウライシダに区分できるでしょう。なかなか興味を持ってもらえないシダ植物ですが,せっかく印象深い姿をしているアジアンタムのなかまですから,ぜひこの4種を見分けてもらいたいと思います。

 

田舎派のアジアンタム

 山地で見かけるアジアンタムはたった2種だけ。クジャクシダもハコネシダも,谷筋の斜面近くにある崖や石垣などを好み,空中湿度の高いところでよく見られます。クジャクシダは,春先に赤くなることや,葉全体の形が孔雀の羽のような優美な姿をしているので,間違えることはほとんどないでしょう(写真1右)。友の会のイベントで,春先に蕎原方面へハイキングに行かれたことがある方は,必ず見ているシダ植物だと思いますし,今年の春の河内長野市天見のハイキングでも,やはり多くのクジャクシダを見ることができました。

写真1ハコネシダとクジャクシダ.jpg

写真1. ハコネシダ(左上・左下)とクジャクシダ(右上・右下)

 一方のハコネシダは,後で述べるホウライシダやカラクサホウライシダによく似ていますが,小葉の形が丸みを帯びていて,独特の形をしていますから,これも特に見分けに困る種類ではありません(写真1左)。やはり岸和田近辺では,牛滝や蕎原などの山地の崖地で見ることができますが,空中湿度が高くないと,生育できないようで,あまり多くは見られません。ハコネシダを見かけると,ちょっとニッコリうれしくなるような,そんな種です。この2種を覚えておけば,泉南の山では,野生のアジアンタムとお友達になれたも,同然です。

都会派のアジアンタム

 「山歩きよりも,難波や梅田でお買い物するほうが大好き」という都会派の皆さんのために,都会派のお洒落なアジアンタムも紹介しておきましょう。ホウライシダは,都市部の石垣や排水溝の内壁などでよく見かけるシダ植物で,アジアンタムのなかまの中では,最もおなじみの植物と言ってよいでしょう。外来種と考えられており,原産地は熱帯アメリカと推定されています。おそらく,温室などから逃げ出して,定着したのでしょう。

 カラクサホウライシダのほうは,別名をコバホウライシダと言い,この名の通り,ホウライシダよりもやや葉が小ぶりな印象です(写真2,3)。お花屋さんで観葉植物として販売されているアジアンタムは,この種の園芸品種であることが多く(光田,1986),やはり熱帯アメリカ原産の外来植物です。まだ,野外での採集記録はほとんどありませんから,日本の気候にはあまり合わないのかもしれませんが,野外でもホウライシダと同じく,石垣や排水溝の内壁,建物の隙間などで見られる可能性があります。

 

写真2ホウライシダとカラクサホウライシダ1 (1).jpg

写真2. ホウライシダ(左)とカラクサホウライシダ(右)

写真3ホウライシダとカラクサホウライシダ2.jpg

写真3. ホウライシダ(左)とカラクサホウライシダ(右)の葉裏の様子

分布拡大するホウライシダ

 アジアンタム属の植物は,園芸品としても人気があるという背景から,園芸学の分野で,よく研究されています。また,ホウライシダは,最近ではシダ植物に特有の光受容体たんぱく質フィトクロム3(赤色光を感知する)が発見された植物としても有名になりました(Kawai et al., 2003)。しかし,私は別の点で,ホウライシダに興味を持っています。この植物が最近,分布拡大しているのではないかと考えているからです。

 ホウライシダは,比較的古くから日本で確認されているものの,本州では,かつて,それほどあちこちで観察される植物ではありませんでした。1980年に出版された『日本のシダ植物図鑑1』(倉田・中池,1980)には,ホウライシダの1937年から1978年までの採集記録が掲載されていますが,近畿地方では兵庫県南部に3箇所,和歌山県に2箇所の記録があるだけです。本州では東京と神奈川で,やや記録が多いものの,その他の地域ではわずかな記録にとどまっています。現在は,大阪府,京都府でも生育しているのが確認されていますし,分布図を作り直せば,『日本のシダ植物図鑑1』に出ている地図とは全く違った地図になることでしょう。

 1996年9月19日の朝日新聞(千葉版)に,「ホームの下に貴重なシダ 湿気や廃熱温室効果 JR西船橋駅」として, JR船橋駅のホームの下に南方系の珍しいシダが生育していることが報道されましたが,この南方系の珍しいシダとは,イヌケホシダ(Thelypteris dentata)とホウライシダのことです。あれから十余年が経ち,いずれの種も,東京での拡がり具合は未知ですが,イヌケホシダについては,大阪府南部から滋賀県中部にかけての市街地で,多くの個体が確認されています(Murakami et al., 2007)。イヌケホシダは,大阪環状線や東海道本線沿いの人口密集地でも多数発見されていますが,ホウライシダも,都市の中心部で見られます。兵庫県南部には比較的古くからホウライシダの記録があり(白岩,1980),現在も路傍で,多くのホウライシダを見ることができますが,先日,神戸市営地下鉄の湊川駅のホームで電車を待っていたところ,構内の線路沿いにびっしりとホウライシダが生えているのを見ました。地下鉄なので,駅も地下にありますから,日光は一切入ってこない場所ですが,ホームを照らす蛍光灯の,わずかな光の中で生きているホウライシダのたくましさにはびっくりさせられました。

 イヌケホシダの著しい分布拡大については,地球温暖化や都市のヒートアイランド現象が関係しているのではないかと疑われています(真砂,1986; Murakami et al., 2007)が,確かな証拠があるわけではありません。しかし,南方系のさまざまなシダ植物に同じ傾向が見られるとしたら,どうでしょうか?やはり気候の温暖化が,南方系シダ植物の分布の拡大(北上)に寄与していると見なすのが適当ではないでしょうか。

 ホウライシダやイヌケホシダと同じく,石垣などに好んで生育する熱帯性のモエジマシダ(Pteris vittata)やイシカグマ(Microlepia strigosa)にも近年,分布拡大傾向があるのではないかと報告されています(Murakami and Morimoto, 2008)。私は,これらと同じ現象が,ホウライシダにも見られるのではないかと考えています。これまで,きちんと調べられた事例はありませんが,今後,ホウライシダの分布や生態が明らかになれば,気候の温暖化が植物に与える影響を知る上で,大変有意義だと思っています。

引用文献

岩槻邦男, 1992. 日本の野生植物シダ, 平凡社.

Kawai, H., Kanegae, T., Christensen, S., Kiyosue, T., Sato, Y., Imaizumi, T., Kadota, A. and M. Wada, 2003. Responses of ferns to red light are mediated by an unconventional photoreceptor. Nature, 421: 287-290.

倉田悟・中池敏之, 1980. 日本のシダ植物図鑑1, 東京大学出版会.

真砂久弥, 1986. イヌケホシダの分布, 南紀生物28 (2): 93-96.

光田重幸, 1986. しだの図鑑, 保育社.

Murakami, K., Matsui, R. and Y. Morimoto, 2007. Northward invasion and range expansion of the invasive fern Thelypteris dentata (Forssk.) St. John into the urban matrix of three prefectures in Kinki District, Japan. American Fern Journal, 97(4):186-198.

Murakami, K. and Y. Morimoto, 2008. Range expansion of two tropical to subtropical ferns, —ladder brake (Pteris vittata L.) and lace fern (Microlepia strigosa (Thunb. ex Murray) K. Presl.), —in the urban Osaka Bay area, western Japan. American Fern Journal, 98(3): 171-176.

白岩卓巳, 1980. 神戸のしだ, 神戸市教育委員会.

山住一郎, 1994. カラクサホウライシダが新たに見つかる, 近畿植物同好会会報, 62: 31-32.

※このコラムはきしわだ自然友の会誌「Melange」8巻1号(2009)に掲載したものに加筆修正し、再掲したものです。

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